音楽の資本論
今回はメモです。
資本論の言いたいこと、「カネか命か」
法然は大蔵経を通読して「南無阿弥陀仏」を見出した。私は資本論に「労働力商品化」を見出した。(大意)
何もかもバラバラに分解した。全てがカネと数値に換算される。それは小泉改革から始まったように思う。
何の文脈も必然性も無いアイドルが、パンクを演奏する、ノイズと競演する、メタルを標榜する。
唯一、リアルなラップのみがかろうじて文脈を保っていると思う。
全てが音楽のフォーマットに還元されて文脈も無い。そこに共通するのはカネなのだろうか否定の否定つまり肯定という意思なのだろうか?
最後は、灰も残らない。カネと命なら、命を選びたい。